LOGIN赤みを帯びた茶色の髪は、低い位置でゆるやかにまとめられ、深い緑を基調としたドレスは、動きやすさを考慮した装いになっている。
背筋をまっすぐに伸ばし、大きな瞳をきらきらと輝かせて、エマを見つめていた。 かつて、彼女の結婚式で、女神の祝福を贈ったことがあった。 「セレナ嬢?」 「エマ様っ! ご結婚おめでとうございます!」 アレシオン伯爵の一人娘、セレナ・アレシオンだ。 (あれ? この前、結婚式を挙げたばかりだよね? なんでここに?) 疑問に思うも、尋ねられる雰囲気ではない。 右側の参列席に視線を移すと、またもや意外な人物が立っていた。 (クロエ?) どうやら、オスティン帝国の文官代表として参列しているようだ。 帝国の麗しい文官は、紺色のドレスに栗色の髪を結い上げ、濃い睫毛を揺らす。 「エマヌエーレ様。ご結婚おめでとうございます」玄関前には使用人が一列に並んでおり、一斉に頭を垂れる。年配の執事を先頭に、侍女やメイド、下男に庭師の姿などが見える。 ルシアンが先に馬車から降り、次にエマの手を取って支えた。 エスコートされながら、ゆっくり降り立つ。 今日のエマは、外出用の法衣に薄手の外套を纏っただけの、簡素な装いだ。 しかし、金の髪は艶やかに光り、黄水晶の瞳は輝いている。 「ここが、ルシアン様のお屋敷なのですね」 「今日から、貴方の住む屋敷ですよ」 ルシアンが優しい声で答えた。 彼はいつものように、銀色の長い髪を一つに結び、藍色の薄い上着を羽織っていた。中は淡い生成りのシャツ一枚で、初夏らしい軽やかな服装だ。 ルシアンは、自分の家に帰ってきたからか、気楽な様子が見える。 そこへ、白髪交じりの執事が、にこにこしながら声を掛けてきた。 「お帰りなさいませ。旦那様。ようこそいらっしゃいました。奥様」 丁寧に頭を下げて、領主の帰還と、新たな主人を歓迎する。 「ご苦労。今日からこの屋敷に住む、私の妻だ。エマを迎える支度は整っているか?」 「はい。すでに部屋を整えておりますが、奥様の好みもおありでしょうから、最低限に留めました。今後は、奥様のご意見を伺いたく存じます」 どうやら、すでにエマのための部屋を用意してくれているらしい。 (一ヶ月しかなかったのに……すごいなぁ) 引っ越しの準備でさえ慌ただしかったのに、迎え入れる側のお屋敷の人たちはもっと大変だっただろう。 執事に礼を言おうと思った、そのとき。 使用人たちの列が、静かに左右に分かれた。 屋敷の正面玄関、その奥から一人の男性が姿を見せる。 「ルシアン、帰ったか!」 「っ、父上!」 ルシアンが驚いた声を上げる。 漆黒の髪に、深紅の瞳。精悍な顔つきに引き締まった体を持つ、壮年の男性。 (うわぁ……皇太子殿下に似てる!) ひと目で、ソルティアン大公だと分
「すごいですっ! おめでとうございます!」 エマは喜びに目を見開く。 公爵家の後継者になるということは、ルシアンの実力や功績が認められたということだ。 (さすがルシアン様っ! すごい!) エマは思わず抱きついて、ルシアンを祝福する。 「本当にすごいです、ルシアン様っ!」 「貴方のおかげです」 ルシアンも、エマをぎゅっと抱きしめてくれた。 愛しさのにじむ声で、エマに囁く。 「この指輪は、大公家の証です。貴方を守ってくれますから、決して外してはいけませんよ」 「っ、はい、ルシアン様っ」 エマはしっかりと頷いた。 これ以上はない、強力なお守りだ。 ルシアンの想いが嬉しくて、胸がいっぱいになった。 「ありがとうございますっ! 僕、頑張りますね!」 ルシアンは、エマのために決意してくれた。 だからエマも、妻としての役目を果たすつもりだ。 (社交界なんて、初めてだけど) 聖樹だった王妃や王太子妃も、いまや立派な王族として務めを果たしている。 エマにだって、できるはずだ。 「その気持ちは嬉しいですが。まずは、デイモンド領での暮らしに慣れることから始めましょう」 「はい。ルシアン様のご実家ですから、楽しみです」 エマが答えると、ルシアンがちゅっとキスをしてくれた。+ + + 十日間の馬車旅は、長いようで短かった。 ランダリエの国境を越えるまでは、馬車の進む先々で、たくさんの祝いの言葉をもらった。 街では王宮の馬車に乗るエマを、平民たちが取り囲むようにして、祝いの言葉をかけてくれる。 「聖樹様っ、おめでとうございます!」 「聖樹様、バンザイ!」 護衛をする騎士たちは大変そうだったが、宿泊先の貴族の館でも歓待を受け、誰もがエマの結婚を喜んでくれた。 帝国に入ってからは、ルシア
「レヴィネージュ伯爵家には、よくオメガが生まれるそうです。そのため、昔から薬草学に力を入れていて、オメガにも理解があります。母はデイモンド領で平民のオメガを保護して、仕事を与える事業も行っているので、領地自体が、オメガに対する偏見が少ないのですよ」 「そうなのですね。僕も受け入れてもらえそうで、安心しました」 オメガに優しい場所というのは、誇張でなく、本当のことなのだ。 「母も領民も、エマを歓迎しますよ。貴方はランダリエの聖樹ですから」 「聖樹と言っても、神殿で育っただけのオメガですよ?」 「貴方は、女神の愛し子でしょう?」 ルシアンが楽しげに笑みを浮かべる。 エマが唇を尖らせると、諭すように優しく言った。 「貴方は特別な存在です。そのように振る舞うべきですよ。それが、貴方の身を守ることにもなります」 ルシアンの声には、重みがあった。 デイモンド領ではオメガへの偏見がないにしても、帝国全体で見れば、やはり蔑視対象である。 (ルシアン様のお母様が、大公様との結婚を認められなかったのも……きっと、オメガだったからだよね) エマがルシアンと結婚できたのは、エマがランダリエの聖樹だから。 帝国のオメガだったら、きっと正妻にはなれなかった。 (僕、すごく恵まれてるんだ) エマは唇を引き結び、コクンと頷いた。 「分かりました。僕、ルシアン様が恥ずかしくないように振る舞いますね」 「あまり気負うことはないですよ。デイモンド領では、自由に過ごして構いません。社交界に出る必要もありませんが、もし行ってみたいと思うなら、万全の体制でエスコートします」 「社交界ですか?」 「貴族が集まって、社交を行う場です。皇族主催のものから、高位貴族の夫人が主催するものなど、様々です」 「あ、お茶会のようなものでしょうか?」 前に庭園でルシアンとお茶を楽しんだことを思い出す。 ルシアンは優しく微笑んだ。 「そうですね。貴婦人や令嬢たちは、そ
「奥方様が、このように美しい方だったとは!」 「閣下に釣り合う女性などいないと思ってましたが、さすが聖樹様ですっ!」 「おい、ジュリアン。お前、なんでもっと早く教えてくれなかったんだ!」 「俺は話したぞ!? 天使のような御方だって!」 「こら、お前達! 静かにしないか! 奥方様の耳に入ったらどうする!」 隊長格の騎士が諫めるが、興奮はおさまらないようだ。 馬車の中にいても、騒ぐ様子が聞こえてきて、エマはちょっと恥ずかしかった。 「ルシアン様。皆さん、僕のことを美化しすぎではないでしょうか?」 「そんなことはありませんよ。貴方が美しいのは本当のことです」 「でも、ルシアン様の方が美しいですっ」 エマはルシアンを見上げて、真面目に返した。 「ルシアン様の銀色の髪も、宝石みたいな瞳も、見惚れてしまいます」 「エマは本当に、可愛いことばかり言うのですね」 ルシアンは目を細めて、エマの唇にキスを落とす。 「んっ、ルシアン様」 「早く、屋敷について欲しいです。貴方が欲しくてたまらない」 「もうっ……デイモンド領までは、馬車で十日は掛かるのでしょう?」 「ええ。長旅になりますが、皇都よりはずっと近いので、辛抱していただけると助かります」 「もちろんです。ルシアン様と一緒の馬車旅は、初めてですね!」 エマはワクワクしながら、ルシアンを見上げる。 前は、エマの体調が悪く、馬車の中ではずっと寝ていた。そのため、今回はルシアンと初めての旅行気分なのだ。 「僕、外国に行くのは初めてなんです。ランダリエでも、アレシオン伯爵領やアズレーヌの街くらいしか行ったことがなくて。外の景色が新鮮で、楽しいですっ」 「気になるところがあれば、立ち寄ることもできますから。遠慮なく仰ってください」 「はいっ」 エマは頷いて、ルシアンに寄りかかる。 馬車の中は、二人きりだ。 ルシアンがエマの腰を抱き、優しい眼差しを向けてく
エマの返事を受け、王太子はルシアンに問いかける。 「デイモンド伯。これよりそなたは、エマヌエーレを唯一のオメガとして番を結ぶ。この先、オメガを含む他の女性にも、反応することはなくなるだろう。構わぬか?」 「女性にも、反応を示さなくなるのですか?」 ルシアンは驚いたように目を見張る。 一般的に、アルファはいくらでも番を持てるし、アルファやベータの女性とも子を設けることができる。 王太子は神妙な顔で頷き、ルシアンに説明した。 「この番の儀式は、お互いを唯一とするものだ。帝国民であっても、効果は変わらぬだろう」 「……王太子殿下は、そうなのですか?」 「うむ。私はアウレア以外の者には、関心がなくなった。欲しいと望むのは、己の番だけだ」 きっぱりと答える王太子に、ルシアンが頷く。 その表情は、晴れやかだった。 「ならば、問題ありません。私が欲しいのは、エマだけですから」 ルシアンの甘い眼差しが、エマに注がれる。 (ルシアン様っ! 本当に、僕だけを望んでくださるんだ) 嬉しくて、またうるうるしてしまう。 王太子は穏やかな顔で、小箱の蓋を開けた。中身が見えるように、エマたちの前に差し出す。 柔らかな絹のうえに、小さな丸い珠が一つ入っていた。 乳白色だが、パールのような光沢があり、うっすらと金に染まっている。 「っ……これは」 ルシアンが驚いた顔で、珠を見つめた。 そして、エマを振り向く。 「この珠は、貴方のものですね?」 「はい……私の、聖樹の実です」 エマは頬を染めて頷いた。 聖樹の実……それは、聖樹と番になる者しか知ることのできない、特別な実だった。 厳重に管理され、番の儀式のときに、アルファへ差し出される。 二センチほどの大きさの実は、一見すると固そうにみえるが、口に含めば柔らかく溶ける。 「デイモンド伯。聖樹の実を食すことで、そなたはエマヌエーレの番となる
ルシアンに寄り添うと、大好きな声がエマを呼んだ。 「エマ。貴方の伴侶になれたことは、私の人生で一番の幸福です」 「ルシアン様っ」 思わずルシアンを見上げ、エマは瞳を潤ませる。 甘い眼差しに胸をときめかせていると、セレナ嬢がにっこり笑った。 「私達の杞憂でしたね。エマヌエーレ様、デイモンド伯。いつまでも仲睦まじくお過ごしください」 「ありがとうございます。セレナ嬢」 エマも笑顔で礼を述べた。 続いて、後ろの長椅子に移動すると、ルシアンの従者ノエルが待っていた。 ノエルは笑顔を浮かべて、エマとルシアンに頭を下げる。 「ルシアン様、エマヌエーレ様。このたびは、ご結婚まことにおめでとうございます」 「ありがとう、ノエル」 「エマヌエーレ様を、ルシアン様の奥方様としてお迎えできること、仕える者として、これ以上の喜びはございません」 熱のこもった言葉は、お世辞でもなさそうだ。 ノエルはニッコリと笑ってエマを見る。 「ルシアン様がご結婚を決意なさるとは、誰も思っていませんでした。エマヌエーレ様にはお礼申し上げます」 「ノエル。余計なことを言うな」 「お屋敷に戻られれば、すぐに分かることですから」 ノエルの返事に、ルシアンが眉をしかめる。 はっきり聞いたわけではないが、どうやらルシアンは独身を貫くつもりだったようだ。 (でも、ルシアン様は僕を選んでくださったんだ) そう思うと、嬉しくなった。 ノエルに礼を言って、最後にエマの側仕えが待つ長椅子へ移動した。 「エマ様~、とても素晴らしかったです~!」 「女神の祝福を頂くとはっ! さすがエマ様ですわ~!」 はしゃぎ声をあげるシーシとスースの隣で、ナタリナが涙を浮かべている。 歯を食いしばっているようだが、エマを見つめる瞳は濡れていた。 「ナタリナ?」 「ッ……あの、小さかった、エマ様がっ! こうして望まれた方の元へ嫁が
「おい、見てみろ。メス犬がさっきからよだれを垂らしてるぞ」 「レオナール様へ媚びているのでしょう」 「浅ましいメス犬だ」 「仰るとおりです。レオナール様」 従者はレオナールのグラスにワインを注ぎ、給仕を済ませてから、再びベッドへ近づいた。 エマを見下ろし、蛇のように醜悪な笑みを浮かべる。 「レオナール様。このメス犬が、レオナール様への無礼に許しを請うまで、じっくり躾けましょう」 「コイツは物覚えが悪いからな。しっかり頼む
カァッと頬を赤く染めて、エマは視線を逸らした。 「フフ。またいずれ、その機会があれば」 「っ! 本当ですか!」 バッと勢いよく振り返る。 ルシアンは驚いたように目を丸くした。 「ぁ……す、すみませんっ!」 エマは耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆った。 (バカバカ! ただの社交辞令なのに!) 本気にするなんて、恥ずかしすぎる。 エマが羞恥に黙り込むと、ルシアンがクスクスと笑った。 「可愛いですね、
ルシアンの瞳はルビーのように煌めいて、いつも優しくエマを見つめるのに。 (あっ。今日はルシアン様もいらっしゃるかな?) エマは懐に手を当て、忍ばせた小さな袋を確かめた。 ルシアンへのお礼にと、朝のうちに急いで用意したお守りの袋だ。 今日は王太子もレオナールもいないので、隙を見て渡せるかもしれない。 (ルシアン様っ) 昨夜の、甘い眼差しと、体に触れた手を思い出すと、奥がきゅんと疼く。 中に入った静香石が、クルンと動いて、思わず
その刹那、気の緩みを見透かしたように、皇太子がふと口を開く。 「ダリウ殿下の奥方は、体調が優れぬそうだな」 「は、はいっ。皇太子殿下」 エマは姿勢を正し、あわてて答えた。 「王太子妃殿下はご体調を崩されやすく、たびたび静養が必要となりますため、本日は王太子殿下がお傍に付き添っておられます」 エマの答えに、皇太子はわざとらしく肩をすくめた。 「客人を放って、奥方の看病とは。ずいぶんと、愛妻家でいらっしゃるようだ」 「はい。王太子ご夫